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| pipinews 2004/6号 NO2 |
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スローライフ ゆったりと生きる新発想 スローライフやスローフードということばを最近よく見聞きするようになった。人々の憧れなのかも知れない。 国民2人に1人が携帯電話を持ち、町中では歩きながら会話をしている人も見かける。ファミレスでは、着席と同時に水が運ばれ、注文後数分で食事が運ばれ、機械的に食事をすませ店を出る。 人々は、何に焦っているのだろうか? 人間は、もっとゆったりとその人と見つめ合い、語り合うという他の動物と違う特性を持っていたのではないだろうか? スピードを追求することで、何か大切なものをなくしてしまっている気がする。 福祉は、このスピードにはのらずに、手間がかかるかもしれないが、人とのぬくもりをゆったりと感じることが大切だと強く感じている。 提言 統括責任者 渡邉洋一 公的責任が、自己責任という名目によって縮小している。まさに、セーフティネットという基本的な生活が脅かされている。能力があるものが、その努力に応じて生活を謳歌できる社会とは、聞こえはいいが、弱肉強食の社会と裏腹である。 地域福祉も、予算減やサービス縮小の理論として利用されている危惧がある。現在の国債の乱発や年金の不正支出は、官僚制の横暴であるといえる。その結果の歳出過度と歳入減は、国民の責任ではない。 地域福祉講座 三浦理論を考える 地域福祉型の社会福祉が、私達の暮らしを支える 時代になりました。あわせて、社会福祉も自己責任 が問われる時代です。そのような時に三浦先生の理 論を考える意味があると思います 三浦文夫が、「社会福祉政策研究」を著わしたのは昭和60年のことでした。それ以前に、「社会福祉経営論」を序説として世に問うていたので、これに加筆したものであるとしています。 もともと、三浦理論といわれている「ニード論」や「経営論」は、1970年代からのものです。それまでの「社会福祉の運動論」や「社会福祉の政策論」という二元主義の論争に対して、三浦が「社会福祉経営」という概念を持ち込むことで理論化をしたものです。具体的には、社会福祉の技術的側面に対して、社会福祉を運動論や政策論という側面から対立的に捉えた論争でした。そのことは、社会福祉現場の実践と福祉研究の乖離でもありました。このような論争では、社会福祉の現場は支えられないという危機感からのようです。特に、当時は、地方自治体は社会福祉サービスの充実を図っている時代でしたから、具体的な計画的整備が求められていました。さらに、実践のための具体的サービスの供給に視点をあてたわけです。古川孝順は、三浦の立場を「社会福祉供給システム論」と評しています。 三浦の業績には、「在宅福祉サービスの戦略」という全国社会福祉協議会の刊行物があります。この図書は、作者が明記されていませんが、全体の8割は、三浦の手になるものです。三浦は、この著のタイトルを「居宅福祉サービスの戦略」とするか迷ったそうです。当時の全社協の石黒チイ子氏との相談で決めたと聞きました。この著が出版をされた当時は、1978年に「在宅福祉サービスの在り方に関する研究委員会」を設置して検討が始まりました。当時は、全社協は、国の政策に対して提言能力を保持していた時期でした。このように、三浦の「社会福祉供給システム論」による社会福祉経営という枠組みは、今日の社会福祉改革の基本的理論になったものでした。今日の社会福祉の混迷にあって、この三浦理論から将来の地平が見えてきます。例えば、希求されている「新しき公共」は、三浦理論にもある「第三の分権化」という道程にあります。最近の規制改革と地方分権は、国家権力の分権ではありますが、地方自治体への分権に留まっていて、あいかわらず「官製市場」の枠から抜けてはいません。官僚至上主義であるわけです。「第三の分権化」は、この「官製市場」からの脱却を示していて、行政権力と市民との間にあって、「市民契約」を結ぶことから始まります。そのうえで初めて新しき公共が成立をします。 私達は、いつまで、この「官製市場」に依存しているのでしょうか。渡邉地域福祉理論は、この新しき公共を求め、さらに「官製市場」からの脱却を考えます。 pipiと感じてください 「美しいものはなんですか?」 というテーマで作文を書くとしたら、私は旅行に行ったときの風景を書くでしょう。多くの皆さんも、目で見たものを書くのではないでしょうか? 盲学校の生徒は、人や鳥の声などを美しいものと書いたそうです。 というテーマで作文を書くとしたら、私は旅行に行ったときの風景を書くでしょう。多くの皆さんも、目で見たものを書くのではないでしょうか? ――バリアフリー・ユニバーサルデザイン―― 新たな時代の世代間バリア バリアフリーというのは、障害のある人が社会生活をしていく上で、障壁(バリア)となるものを取り除いていくという意味で、昭和49年(1974年)に国連障害者生活環境専門家会議が「バリアフリーデザイン」という報告書を出したころから、この言葉が使用されるようになった。もともとは建築用語として登場し、建物内の段差の解消等物理的障壁の除去という意味合いが強いものの、より広く障害のある人の社会参加を困難にしている社会的、制度的、心理的なすべての障壁の除去という意味でも用いられている。 ユニバーサルデザインは、バリアフリーの概念に代わって「できるだけ多くの人が利用可能であるように製品、建物、空間をデザインすること」である。ユニバーサルデザインは、障害の有無、年齢、性別、国籍、人種等にかかわらず、多様な人々が気持ちよく使えるように、あらかじめ都市や生活環境を計画する考え方である。 確かに最近発売されるマンションや戸建てなどは、バリアフリーが当たり前のようになってきており、建築商品(風呂・トイレなど)はユニバーサルデザインの商品が増えてきた。自動車メーカー各社もユニバーサルデザインを視野に入れ開発している。 街角や家庭などでもユニバーサルデザインが進出してきている。シャンプーとリンスを区別する容器のギザギザなどは有名である。 ところが逆の状況も増えていると強く感じる。駅で切符を買うときに混乱する人も多いだろう。複雑な券売機は異次元に迷い込んでしまったように感じる。また各社ごとに仕様が異なり、さらに混乱を引き起こす。券売機は一例であるが、便利になったと思われるコンピューター化に恐怖を感じる人は多いだろう。便利になったと思われることでも、逆にバリアを産んでいるということも多い。ひとつには、世代間バリアという要素を持っていると思う。この世代間バリアは物理的な部分であるが、この物理的な部分が発展し、心理・精神面のバリアへと発展していく。人間はビジュアルな面が全ての入り口だからである。世代を離してしまっては人の成長はないと感じる。 うさぎにもわかる福祉入門 @福祉って、なあに? 福祉という言葉の定義には、これという定説はありません。ただ右図を見てわかるように、人間はその生活を営むときに、主体的に社会と関わりをもっています。その関わりになんらかの欠損や障害が生じたときに、社会福祉はその個人を総合的に理解し援助しようとするものです。 つまり、人間が自立して生活をするように援助することにつながります。 したがって社会福祉は、人間そのものの営みに深く関係し、すべて国民は援助される立場になる可能性を持っているのです。 編集後記 ▼私の住んでいる地域で「防犯ネットワーク」という試みが始まりました。区内の犯罪事件を、会員にメールで送信するというものです。会員は特にやるべきことはないのですが、犯罪が身近で起こっていることを感じてもらい、防犯意識を持ってもらうことが目的のようです。(Y)▼長崎で痛ましい事件が起こってしまいました。数ヶ月前には、幼児・児童虐待というニュースが騒がれていました。詳しい原因は分かりませんが、子どもを取り巻く環境が変化しているようです。地域を見つめることが今の時代あらためて大切だと感じています。(H)▼川崎市の地域福祉計画と総合計画の委員として参画をしています。これまでとは異なる手応えを感じています。三浦文夫先生の助言を受けて作成をしている過程から、新たな公共を考える必要を痛感しています。(W)▼福祉の基本を考えるのは難しいですね。よく憲法25条「生存権」や13条「幸福追求」さらに14条「平等の原則」が基本にあるといわれています。(S) |
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